復縁成功10年の秘密と本質

本気で復縁を目指す人のための難しい話

欠点だらけの人こそ復縁に成功しやすい。欠点こそが復縁成功の武器に進化する

復縁に成功できる人は自分に欠点があるという事を認めている人で、なおかつその欠点が多い人です。

なぜなら欠点が多いという事はこれから成長して伸びる伸びしろが多いということ。

欠点が少ない人はその欠点を全て直したとしても変化は少ない。

欠点が多いからこそ、その欠点を直していけば今までとは全く別人のような人物に変化できる。

だから復縁に成功できる人は欠点が多い人なんです。

 

復縁につながる新しい魅力は自分の欠点から生まれる

あなたの元カレ元カノは、最初はあなたの長所や強みに惹かれてあなたと付き合っています。

これは当然ですよね。

つまり復縁を成功させるには長所を伸ばす必要はないんです。それは無意味です。

あなたの元カレ元カノはあなたの長所の事はわかっている上で、それでも欠点がヤバすぎるから別れを決断したわけだからです。

ですあなたは新たな長所を生み出さなければならない、新たな魅力を生み出さなければならない、じゃあどこから新たな長所や魅力を生み出せばいいのかと言うと、それは欠点からなんです。

ゴットホルト・エフライム・レッシングというドイツの思想家・戯曲家がいます。

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1729年1月22日 - 1781年 2月15日

 

この人物の言葉に

「欠点いかに大であるともそれから徳が起こる」という名言があります。

レッシングは名言界隈でもなかなか有名な人で、「レッシング 名言」 で検索すると名言や格言を集めたホームページ等が多数ヒットしますが、実はこの言葉は簡単には見つけることができません。

これは日本の新渡戸稲造5000円札の肖像の人)が、その著書『武士道』の中でレッシングの言葉として引用しているものだからです。(武士道第1章後半)

 

成功から教訓は得られにくいのと同じ様に、長所から徳は生まれにくいのです。
欠点から徳が生まれるんです。

復縁に置き換えて考えるならば、その徳というのは魅力です。

優しさ、寛容、自己犠牲、克己、忍耐、楽観、達観、
その様な徳は、欠点からしか生まれない。


欠点を突き詰めて欠点を見つめて煮詰めた先に、欠点の中にあった何か硬いものが残る。

それは醜くおぞましい欠点のモヤに隠されて今まであなた自身にも見えていなかった、あなた自身の強さの1つです。

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あなたは今、欠点だらけですね。
ダメなところばっかりです。
それを自覚してその欠点を埋めようとするからこそ新たな徳、すなわち新たな魅力が見出されます。

 

あなたはなぜ怒りっぽい?

あなたはなぜ自己中心的なのか?

あなたはなぜ物事に対して妥協をする?

あなたはなぜ不満を顔に出す?

あなたはなぜ愛すべき人を適当に扱った?

あなたはなぜ元交際相手に執着して復縁を目指している?

あなたはなぜ自分の満足のための愛を本当の愛だと思い込んでいた?

あなたはなぜ自分が愛されたいがゆえの愛を、すなわち見返りを求める愛を、本当の愛だと思い込んでいた?

 

そのようなことを深く考えて煮詰めていくことが、あなたの新しい強みにつながります。

そして、あなたの元カノ元カレも知らないその新しい強みを持って元カノ元カレに新しく接触して行かなければ復縁は成功しません。

 

あなたの愛は自分のための愛、つまり嘘の愛だった。しかしそこから復縁につながる魅力が生まれる

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レッシングは『賢者ナータン』という宗教思想的な戯曲も書いています。

その賢者ナータンとはどんな話なのかと言うと、

十字軍の時代にユダヤ教徒の賢者ナータンがイスラム教の支配者に呼び出され、イスラム教、ユダヤ教キリスト教、この三大宗教の中で最も良い宗教はどれかと聞かれます。

宗教的な融和と寛容を大切にしている賢者ナータンはどれが最高の宗教かなどという質問には答えられず、その時にこんな話をします。

 

昔々とある豪商には3人の息子がいた。その豪商が自分の死に際に「誰からも愛されるようになる」という家宝の魔法の指輪を3人の息子のうち誰に渡すか悩んだ。なぜならその豪商は息子3人ともを心から愛していたからである。

そこでその豪商はその家宝の指輪と全く同じ形をした偽物の指輪を2つ作らせて、どれが本物の指輪かわからないようにして3人の息子に1つずつ渡して死んだ。

父親の死後息子たちはどれが本物の魔法の指輪か、「誰からも愛されるようになる」という魔法の力が宿っている指輪は誰の指輪なのかという事でいざこざを起こし、最終的に裁判所に訴えを起こした。

しかし裁判官は、

どれが本物かを見分けることは難しいからその3つの指輪をどれも本物であると3人それぞれが信じなさい、そしてその魔法の指輪が持つ「誰からも愛される人間になれる」という魔法の力を、3人それぞれが自分で実現するために努力しなさい、

と悟してその訴えそのものを棄却した。

 

賢者ナータンはユダヤイスラム、キリストの宗教の中でどれが最善の宗教であるかというイスラムの支配者からの問いに対してこのエピソードを話したところ、

そのイスラムの支配者は自分の質問の愚かさに気づき改心してナータンを解放した。

これが賢者ナータンという戯曲の大体の話の内容です。

 

まさにあなたは今、
愛してくれた記憶にすがり、
愛してくれた人の物にすがり、
過去の幸福にすがらなければ立ってもいられない状態にあると感じているはずです。

自分の部屋に残された元恋人の指輪を見ながら、その指輪に象徴される愛を思い出して、

あの愛は本物だったんだ、私の愛も本物だったんだ、相手の愛も本物だったはずだ、でも本物だったはずの愛は壊れてしまった、本物だったはずなのになぜだ?と葛藤しています。

元恋人を思い出して自分は愛されていたはずだと心の中で葛藤していますよね。

 

しかしその愛は間違いなく偽物の愛だったんです。本物だったら相手はいなくなっていません。

 

あなたが本当に相手のことを愛し、自分が愛されることを捨て、たとえ自分が全く愛されなくても何の見返りがなくても相手の幸せを心から願って行動していれば、捨てられる事はないのです。

 

でもあなたは、自分のために相手を愛していた。

自分が愛されたかったから相手を愛し、自分の心が満たされたかったから相手を愛し、相手から愛の見返りを受けたかったから相手を愛し、自分が寂しい気持ちになりたくなかったから相手を愛していたんです。

それは自己中心的な愛で、言い換えるならば嘘の愛です。偽物の愛です。

偽物の魔法の指輪と一緒ですね。


しかし重要なのは自らの意志で、その自己中の愛を本物の愛に変化させることです。

 

賢者ナータンが話したストーリーの中の裁判官は「お前たちの偽物の指輪を自分たちの力で本物の指輪にしろ。お前たちが誰からも愛される人間になれば、どの指輪も本物だったということになろう」と喝破しています。

それと同じです。

 

あなたができる事、やるべき事は
その愛が本物だったのか偽物だったのか、あるいはその愛の意味はなんだったのかと過去の遺物にすがることではありません。

あの愛は本物だったのか、それとも嘘だったのかと気にすることではありません。

すなわち元恋人のあの言葉は嘘だったのか、元恋人は今自分のことをどう思っているかなどと考えることではないのです。

(そう考えてしまっていることこそが、その愛が自分のための愛であったことの証明です。自分が精神的に満たされるために相手を愛していたことの証明です。相手の気持ちが気になるならそれは本当の愛ではありません。本当の愛は相手の気持ちなんか気になりません。相手が自分のことを憎んでいようがいまいが関係なく、とにかく相手の幸せを願うこと、それが本当の愛です)

 
ですから私はここで3つの指輪の話のエピソードに出てくる裁判官のように、あなたのその訴え、あなたのその思いを棄却します。

なぜならあなたに必要な事はこれから自分で自分の中の愛を磨き、その自己中心的な偽物の愛を、
自己犠牲的な本当の愛に変えていくことだからです。
 
裁判官は「偽物の指輪を本物にするためにあなたが努力しなさい」「誰からも愛されるという魔法の力を、その指輪によってではなく自分の努力によって3人とも手に入れなさい」と言いました。

 

私もあなたに同じことを伝えたいです。
あなたの偽物の愛(自分のための愛)を、本物の愛(他人のための愛)に変えるために努力しなさい。
 
他人の愛が本物だったのかどうか、
愛されていたのかどうか、
裏切られたのかどうか、
そんなことを考えている様ではあなたの心はずっと不安に苛まれます。
 
重要なことはあなたの愛が本物だったのかどうかです。そしておそらく本物ではなかったはず。相手がだれであろうとあなたの愛は本物ではない。本物の愛というレベルに到達していない。
本物でなかったのなら、本物にするためにどう生きるか、
ということこそが重要なんです。

 

つまり「欠点いかに大であるともそれから徳が起こる」の言葉通り、

あなたが、自分の愛はただ単に自分自身を満たすための愛であった事を認め、自分の寂しさを埋めるための偽物の愛に過ぎなかったという欠点を認めれば、そこから魅力が生まれ始めます。

 

では自分の寂しさの根本とは何なのか、

自分は本当は何を求めているのか、

何があれば自分の寂しさは埋まるのか、

自分の愛の言葉が薄っぺらかったのはなぜなのか、

そういう欠点を深く考えていくと、その欠点がなくなって逆に魅力に変わっていきます。

 

例えば私はかつて自分の恋愛観を相手に押し付けるタイプの愛を持っていました。

恋人だったらこうあるべきだよね、

恋人ならこんな自己犠牲をすべきだよね、

という恋愛観を相手に押し付けるタイプでした。

実際自分自身も確かに自己犠牲的な恋愛行動をしていましたが、しかしその恋愛観を相手に押し付けてしまっていました。

俺がこんなの自己犠牲しているんだからお前も自己犠牲しろよ、という感覚です。

それが私の多々ある欠点のうちの1つでした。

 

しかしその欠点を深く深く考えていくうちに、その欠点の根本的原因が分かりました。

それに関しては下記の私の動画などをぜひ見て下さい。私の黒歴史も含めて私の欠点の根本的な原因を深く掘り下げてお話ししている動画です。

youtu.be

 

根本的な原因がわかったら性格を変えるのは簡単です。根本的な原因がわかれば放っておいても性格は変わります。

 

そして現在の私は、自分の主張や気持ちを相手に快く受け入れてもらうための大切なテクニックを身に付けています。

自分の恋愛観を押し付けるのはなかなか大変なことです。押し付けようとしても押し付けようとしても、なかなか押し付けることはできません。

 

しかし私の「自分の恋愛観や人生観を相手に押し付けたい」という願望は、自分自身の根本的な観望なのでなかなか変わりませんでした。

 

そこで敢えて悪い表現をするならば、どうすれば自分の恋愛観や人生観を相手に押し付けられるか、どうすれば相手が自分の価値観を受け入れてくれるかを自分磨きをしながら深く考えたのだと思います。

 

その結果たどり着いた境地が、

「先に相手の意見と相手の気持ちを教えて欲しいと下からお願いする」

メタ認知で相手の立場に入り込んで共感する」

「反対意見を述べる時にも先にあなたの言う通りだと断言してから自然に反対意見を述べる」

「失敗するかもしれなくても、相手と共に失敗に向けて行動して共に失敗し共に傷付く」

という様なスタイルです。そのスタイルが完璧に身に付きました。

そしてここまでやれば相手はこちらの意見も尊重してくれるという事に気付いたのです。

つまり私は、恋愛観や人生観の押し付けという欠点から徳(魅力)を生み出すことに成功したのです。

 

そしてそのスタイルはまさにパートナーに対する愛や優しさそのものです。

自分の気持ちもわかって欲しいという下心はもちろんあります。

しかし自分の気持ちがわかってもらうためにまず最初に相手の気持ちを徹底してわかってあげる事は、間違いなく愛や優しさに満ちた態度です。

 

賢者ナータンの指輪のエピソードのように、私は自分自身の偽りの愛や優しさを、本当の愛や優しさに変えたのです。

だからこそ私の妻や私の子供もこんな私のことを愛してくれています。

誰からも愛されるという魔法の指輪のその効果を、自らの努力によって実現した形になります。(さすがに現実的に考えて世の中すべての人に好かれることはできませんが、少なくとも私が大切だと思う人間からは本当に愛されていると実感できます)

そして、欠点いかに大であるともそれから徳が始まるというレッシングの言葉を実際に自分で経験することができました。

ですからあなたにそれができないわけがありません。

昔の私は本当にだめな人間でした。ちゃんとしただめな人間、ああほんとにダメなんですねと言われるような人間でした。

新聞屋の営業していたときには先輩から「何をやってもダメなやつはいるから、お前はその何をやってもダメな奴だから、もうこの仕事すらもやめたほうがいい」と言われました。

当時新聞屋の営業というのは「拡張団」と言われ、どんな経歴がある人間でも、前科がある人間でも、小指がない人間でも採用されていました。

「新聞はインテリが作ってヤクザが売る」と言われていた時代です。

その最低レベルの職業ですらダメなやつはもう本当にダメだと先輩から言われたんです。

 

そんな私でも愛される人間になることができた。愛される魅力を手に入れることができた。

ならばあなたにできないはずはありません!

前向きに笑顔で自分の欠点をたくさん探して魅力に変えていきましょう!

 

私の略歴はこちら↓

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